僕の好きな禅語のひとつに両忘(りょうぼう)という言葉がありますが、これまた奥が深い。
というか、今の時代だからこそ必要な考え方なんじゃないかと思います。
両忘を簡単に説明するのは難しいのですが 笑
例えば「AとB、どちらの意見が正しいか?」となった場合
「お互い 自分の価値観というモノサシで比べるのではなく、ゼロから考えてみよう」
AさんもBさんもお互い「自分が正しい」と思った意見を言っているだけ。それではいつまでたっても平行線。
本来求めるべき「正しい答え」は別のところにある。と説いているわけです。
二元的思考からの脱却
世の中には
賛成・反対
善い・悪い
好き・嫌い
真実・嘘
幸せ・不幸
美しい・醜い
白か・黒か
など、対極な考え方や価値観があります。
これらを二元論や二元的思考といったりしますが、こういう考え方が強くなると脳が機械や人工知能に支配されやすくなってしまうのだそうです。
何をいきなりブッ飛んだ話を…。
と思いましたか?笑 そうでもないんですよ。
皆さんはソーシャルメディアなどで「いいね 」していませんか?
あれって、とても二元的思考だと思うんです。
このご時世、様々な場面において「いいね」や「高評価・低評価」のボタンが用意されていますよね。
つまりそれは「いい・わるい」だけで判断をする。という思考に慣らされていることでもあります。
言い方を変えれば「承認欲求」をうまく利用した仕組みなのでしょうが、ちょっと恐いと思いませんか?
「いいね」をされなかったら「ダメだね」と言われているような錯覚を起こす。
「いいね」が多くもらえないと世間から認めてもらえてない気がする。
SNSで病んでしまう人がいるんですから、「脳が支配されてしまう」というのもあながち大袈裟な表現ではないでしょう。
特に幼い頃からこれらの環境に慣れ親しんでしまうと…少し将来が心配になりますよね。
二元的なものの見方や考え方をしていると一番大切なことを見逃すことになります。
例えば原子力発電。
賛成か反対か。ということだけで考えているといつまでたっても平行線。
問題はそこじゃなく「原発より安全なエネルギーへの切り替えをどうやって実現していくか」ということです。
「日本には資源がない」という洗脳に浸っている場合じゃないんですよ 笑
二者択一の罠
二元的思考(二者択一)に慣れてしまうと日常生活での考え方も単純化(劣化)していきます。
大袈裟な例ですが、食事に誘われたとして
「イタリアンとフレンチどっちがいい?」と聞かれた際、思わずこの二つのどちらかを選ばなくてはならない!と考えてしまうということです。
「和食がいい」とか「インド料理がいい」とか他にも選択肢はあっていいのに、それらを排除して二者択一にする。
誘った側としてはどちらかを選択してくれるチャンスが上がるわけですから、ある程度相手をコントロールしていることになります。
(奢りだったら二者択一でもいいよ!とかそういうのは別として 笑)
こんなことを書きつつ 僕もInstagramはやっていますが、ソーシャルメディアの「いいね」を「悪」だと言っているわけではありません。
でも、やるのであればそういうリスクを理解しておくというか、意識はしておいたほうがいいと思うんです。
それもあって僕のYouTubeチャンネルでは高評価や低評価の数を表示させないようにしています。
視聴者にはその動画の評価が数字として見えないので押さなくなるんですよね。
Instagramにある「ストーリー」は評価を気にする必要がない分、気楽でいいですよね 笑
そういう意味でもストーリーメインになっている人って多いんじゃないかと思います。
ちょっと脱線してしまいましたけど、特に様々なソーシャルメディア等で「いいね」をする機会が多い人は自分の思考に注意してみてください。
まずは あらゆる二元的な思考から離れ、それらをリセットする。
ひとつの事柄に対し丸ごとで「いい・悪い」を評価・判断するのではなく、「ここは同意見だけど、ここは自分ならこう考えるかな〜」みたいな感じで考えてみたりする。
「自由な発想」や「思いやり」といった考え方、気持ち。
これからの時代、こういったことがますます大切になってくるんじゃないかと思います。
心や身体で感じたり、感謝することは人間にしかできないことです。
機械やロボットにはできません。
世の中 マルかバツかだけで考えてたら面白くないですよね!